この時期、Yに大きな影響を与えた人物に同社研究課の今井隆吉氏がいる。広瀬にはリリエンソールの『TVA日記』の訳者として記憶があるが、地頭の良さでは日本有数であろう。核後進国の日本の核平和開発を知的参謀長として推進した人物だ。このころ(昭和43年)Yは結婚する。紹介者は母の道子である。彼女は鉄幹・晶子の次男である秀(後のイタリア大使)に嫁し、数年義理の父母と同居した。その思い出を『どっきり花嫁の記』と題して出版、その担当編集者だった石川とも子を息子の嫁にと発案したわけだ。
どっきり花嫁の記―はは与謝野晶子
どっきり花嫁の記―はは与謝野晶子
続きを読む: 『日本再生の切り札 与謝野馨』大下英治著を読む(続)
最近のコメント