与謝野馨についての最近のブログ記事

この時期、Yに大きな影響を与えた人物に同社研究課の今井隆吉氏がいる。広瀬にはリリエンソールの『TVA日記』の訳者として記憶があるが、地頭の良さでは日本有数であろう。核後進国の日本の核平和開発を知的参謀長として推進した人物だ。このころ(昭和43年)Yは結婚する。紹介者は母の道子である。彼女は鉄幹・晶子の次男である秀(後のイタリア大使)に嫁し、数年義理の父母と同居した。その思い出を『どっきり花嫁の記』と題して出版、その担当編集者だった石川とも子を息子の嫁にと発案したわけだ。

どっきり花嫁の記―はは与謝野晶子
民主党の渡部恒三氏から、家出老人と揶揄された新党だが、シルバー新党と居直れば、これはこれで逆に存在感を誇示できうる。人間は若者だけではないのだから。で、与謝野氏本をご紹介する。実際の取材は小菅尚氏のようだ。本は平成20年9月の福田(康)総理辞任後の自民党総裁選で始まる。私など5人立候補したのも忘れたが、麻生・与謝野・小池・石破・石原であった。351・66・46・25・37票の結果だった。
今月号の文藝春秋で与謝野氏は谷垣党首を批判している。谷垣氏にあくどい討議を望む方が間違っている。タイトルの新党ウンヌンは編集部の命名だろうがやはり一定の責任を筆者ももつべきだ。自民党大敗は古賀氏の宮崎県知事問題だけが話題となったが、実は与謝野氏の麻生批判も選挙直前だっただけに大きな要因だ。あの与謝野氏が批判するのだから実際もひどいだろう、と思わせる国民の信頼があったからだ。したがって責任も重大である。


2012年2月

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