雑感の最近のブログ記事

生玉子があたりまえで食べられること。サルモネラ菌の排除が奏功しているせいであろう。西ナイル熱の心配のないのもありがたい。あらゆる空港のちかくで蚊の繁殖を防止し、航空機内の殺虫を励行することだ。それ以外にも気づきづらい「幸せ」があるのであってそれを続けるのは目立たない努力が必要なのだ。
戦後から昭和40年代以降まで日本酒の評判は散々だった。酒税が各メーカーの創意工夫を許さなかったからだ。越の寒梅という頑固な酒造家が味で評判となりやがて規制もとけ日本酒のリバイバルが始まった。
など波風の立ち騒ぐらん と続く明治天皇の御製である。強大なロシアに対抗せざるを得なかった懊悩をあらわしたお歌である。約35年後の開戦決定の御前会議でも披露せられたのは皆の知るところだ。しかし、その際においては過去すくなくとも10年以上は、外交においても波風を立てたのはこちらの方だった。四方の海から、など波風を断ち騒がせたもう、という疑問が山積だった。
近時は差別というと検証なしに悪とされる。差別の原因は多くの場合傾向に存する。たとえば、金を貸す場合、2つの集団があるとする。A集団の返す確率は95%、B集団は90%とする。短い人生だ。どうせ貸すならA集団に貸すのは当然だろう。貸し金の場合だけではない。差別といわれる現象も 全部とはいわないが多くはこんなことに原因がありそうだ。問題は傾向ないし確率が事実として存在するのか、そして集団の枠作りが妥当かどうかだ。 あといくらかあるかもしれない。差別はある。しかしあってはならないとされる。そこへの考察があまりにも無さ過ぎるのが近時の特徴だ。
わたしが吉田茂で感心しているのは、サンフランシスコ講和の際、各国代表に日本軍が占領したシルクロードの詳細で分厚い学術書(日・英文か)を引出物?にした事である。日本が野蛮で残酷な戦闘のみをしていたのではない、というアピールだ。
私が作った単語である。なぜ、弾道弾迎撃ミサイルに核弾頭をつけなかったかの理由である。米国他が発想しなかった訳がない。飛躍的な迎撃能力を与 えるものだからだ。しかし、そうすると戦争が、核戦争が可能になる可能性がある。MADでなくなるのだ。ミューチアル・アンアッシュアッド・デス トラクシシォンということだ。これは核戦争の可能性がでてくる。ソ連がしなければ、あえて米国も面倒な事を始めるのはよそう。大体こういう事では ないか。

「・・・散々な侮辱を与えられ、それでも何の抗弁も抵抗も出来ず」、「之ほど残酷な袋叩きにあった国が、かつて世界にあったろうか」。別に民主党の日本ではない。1919年の日本だ(出典、『石橋湛山』中公新書)。大隈内閣・寺内内閣という阿呆で旧弊な内閣のせいだ。後にはオラガ総理・田中義一が控えている。
お米をいれるとモチモチのパンができるゴパンが売れている。美味しいという理由のほかにあまっているお米を消費するという気持ちもあるようでうれ しい話だ。
世界で最もアジア人種に人種差別をしていたのはアメリカ合衆国である。証明はいくらでもできる。しかし1960年代から急速に差別と偏見を改めたのはそれが難しいことだから尊敬に値する。 しかし政府機関で人種差別を改めることが最も遅かったのはアメリカ海兵隊ではなかったのか。他国の軍隊を根拠なしに批判することは許されないが、私の乏しい知識によれば海兵隊の将校は多くは白人でなければならない、という考えがあったし、いまもあるのではないかという疑問をもつ。
以下はあくまで自分の好みであって普遍的と言うつもりはありません。まず、お茶漬けのCMだ。ズルズル音もいい加減にして欲しい。次は外為のCM。だれのため(為)という駄洒落だろうが、違和感、不快感が強い。あと競馬のJRA、ファン層を低く見ているのか、風格に乏しい。これでいいと 思っているのだろうか。おしまいは発毛だ。97%に効果がある、といっていたがほんとうならノーベル賞ものだ。くびをかしげる。
朝日ジャーナルの終刊は下村満子さんが編集長だった。ご本人は自分の名前を音読みするネタで笑いをとるおおぶりの人柄であるらしい。その終刊号の近くの号で昭和天皇のなくなったときインド政府が3日間の国喪に服したとの短報が載っていた。
山田風太郎氏の日記を模す。大仏次郎や高見順の終戦日記があるが、高見氏の日記がいい。たしか元大阪府知事と異母兄弟だったと記憶する。
本ブログでも紹介したこの映画(副題は樺太1945年夏)が、渋谷で上映される。以後、7月24日は名古屋のシネマスコーレ、7月26日は京都みなみ会館、札幌はシアターキノで8月7日、横浜はジャックANDベティで8月7日、新潟はシネ・ウインド、大阪は第七藝術劇場(いずれも期日不祥)。勝手紹介なのでご自分で確認してください。渋谷では二木てるみ氏などの挨拶、軍事史研究家の解説がある。日時は03?5489?2592 シアターN渋谷に問い合わせを。
国家が国民に裁判員の義務を課せられるのなら防衛員も介護員も課せられておか しくないのだろう。さらなる議論が必要だ。
この事を知る人は日本で何人いるだろう。1人かもしれない。関東大震災でアメ リカは心のこもった救援品を贈ってくれたのに、心ないジャーアリストの筆で日本人の憤激を買ったことがある。その米人はこう書いた。「たしかにこの大地震 は悲惨だが、この国は慢性的な人口の過多に悩まされているらしいから幸いかも しれない」(大略)。このコラムはシンジケートで各紙に配信され日本でも広く知られた。本人は気が利いた表現とでもおもったのであろう。


2012年2月

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