『増田甲子七回想録』で知る戦後日本

昭和59年に毎日新聞から非売品として出版されたこの本は戦後の日本を知るためのかけがえの無い良書である。よく55年(昭和30)体制といわれるが保守合同後の体制という意味である。それ以前に新日本の骨格はできているのだからそれほど意味は重大でもない。増田氏は内務官僚としては病弱のため10年ほどのブランクがあり、病床での焼夷弾体験から奮起して再起、福島県知事・北海道長官として短期間に実績を挙げ、吉田茂の懐刀となった。一時は吉田の後継者候補筆頭になったのだから話はおもしろい。
例えば、財政再建のためのドッジ・ラインは Super consolidated balanced budget 超均衡予算案、なのだがこのコンソリーディテッドというのは、特別会計(特会)をふくめた健全予算という意味で眞に今日的意味をもっているのである。その後来日したシャープは付加価値税 (VAT 消費税)新設を指示したが、約30年後の竹下内閣で実現したものだ。警察組織の抜本的改革も氏によるものだ。政敵の広川弘禅や小沢佐重喜氏への評価もおもしろい。断片的に紹介しよう。159ページ、総選挙後に新人をかきあつめてのし上がった幹事長広川弘禅。191ページ、(広川君は)総務会長になるとすぐに事務局長なるものを作って小沢佐重喜君にやらせたのだが、この事務局が突然に知事会議を招集すると言い出した。昔だったら地方長官会議といって時の総理もあせだくになるほどの会議を、小沢佐重喜君が広川の子分ということで議長になってやっているなど、馬鹿げたことです。213ページ、隣に居た広川と小沢両君は、当惑している私の顔をみながら、ニタリニタリとわらっている。彼らは(吉田)先生に前から何らかの連絡をしていたのだろう。国のことなど全然考えていない全くいやな奴らである。(以上一部省略)いやはや官僚出身の増田にかかっては党人派はかたなしである。両派とも国のためを思っているのだろうが、自分にやさしいのは党人派というのはいえるのではないか。


          

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このページは、Makoto Hiroseが2010年9月 6日 02:28に書いたブログ記事です。

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