伝記文学の巨匠・杉森氏の作品である。古本を神保町でもとめた。『天皇の料理番』や『アラビア太郎』はおもしろかった。例外は『近衛文麿』で、なんでこんな甘い評価ができるのか不思議だった。理由は、大政翼賛会のボスで上司の後藤隆之助の依頼による執筆だったからのようだ。さて本書だが、主人公・明石元二郎の日露戦争の後方擾乱活動の記述もさることながら、寺内正毅朝鮮統監の下での憲兵隊司令官時の記述に価値がある。伊藤博文・桂太郎を中核とする併合反対派が力(命も)失い、半島の憲兵隊のトップとして再任した明石が裏面工作に辣腕を振るう。
後世から見れば愚かなことをしたものだが、当時はロシアの復讐が怖く、真っ当な政治家としては国民に203高地の犠牲を再度求める事は常識外の事であった
ろう。そのための併合だが、お節介な国民性で帝国主義の下ではとても自立は不可能とみての容喙だが、無益きわまる決断だった.明石は高度の政治判断をした
訳でなく現地の謀略と取り締まりに当たったのだが、政治的破壊工作の研究対象としての価値は不変だ。
人物紹介:出典AMAZON
杉森 久英
1912‐97年。小説家・評論家。石川県生まれ。四高に学び、東京大学国文科を卒業後、一時、中学校の教師となる。その後、中央公論社に入ったが、しばらくして退社する。大政翼賛会興亜局、日本図書館協会を経て、戦後、河出書房に入社。「文藝」編集長として第一次戦後派の登場に寄与する。1953年、短編小説「猿」が芥川賞候補になったのを機に退社し、作家活動に入る。著書として『天才と狂人の間』(直木賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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杉森 久英
1912‐97年。小説家・評論家。石川県生まれ。四高に学び、東京大学国文科を卒業後、一時、中学校の教師となる。その後、中央公論社に入ったが、しばらくして退社する。大政翼賛会興亜局、日本図書館協会を経て、戦後、河出書房に入社。「文藝」編集長として第一次戦後派の登場に寄与する。1953年、短編小説「猿」が芥川賞候補になったのを機に退社し、作家活動に入る。著書として『天才と狂人の間』(直木賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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