社長就任以来、F1からの撤退、米国NUMMIの閉鎖、部品価格の3割削減などの重要な決定を発表したが、後の2つの決定は正しい判断なのか疑問である。失礼ながら、ここ10年ほど企業イメージは好転していたが、その前はごりごりのエゴイスト企業、自社の利益以外は眼中にない、というイメージが支配的だったと思う。報道にはあらわれないが、政治部門が、日本の国益と自社の利益の微妙な「交易」に携わっていたという推測も一部にあった。その点、奥田社長以来、イメージの改善につとめられ大きな成果があった。新社長になり、莫大な宣伝費もあり、奥歯に物が挟まった報道ぶりだが、強圧的で部下が自由に発言しかねる雰囲気があるようだ。
これが単なる憶測ならいいのだが、なにせ日本の屋台骨を支える企業である。社長がそんな印象で語られるのは大きな損失である。NUMMIに関しては、GMが先に降りたわけなので、米国人のプライドとして、文句をいいがたく、逆にそのことが憤懣を内攻させる危険があった。米政権が民主党になった事にも鑑み、全面的な撤退より含みをもたせ、それを交渉材料とする戦略も十分ありえた。しかし部下が余計な事をいって、殿から上意討ちされるのはいやだという、いささか下世話な表現だが、そんな事はなかったろうか。外野としては心配である。部品の3割り値下げは衝撃的な政策である。これに対応できる部品メーカーは1社もなかろう。これは精神論なのだろうか。もっと丁寧に説明しなければ、トヨタ自動車のために長年努力してきた各社にたいして失礼きわまりない。このままこの態度で進まれるのなら、株式を売却したくなる株主もでてきよう。もういちど名大出版会から出された創業者の事跡をまとめた書物を熟読する事をお勧めする。
過去記事:トヨタ部品値下げ要請
過去記事:『俺は、中小企業のおやじ』鈴木修を読む
豊田喜一郎文書集成
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
戦中という困難な時期に、自動車製造というリスクの大きな新規事業に取り組み、状況に翻弄されながらも事業の礎を築いた「夢を語る現実的な起業家」の軌跡。
内容(「MARC」データベースより)
トヨタ自動車社長として日本の自動車事業を創出した起業家・豊田喜一郎。国産自動車の大量生産、戦後の経済と産業の再出発、技術者のあり方などについて、豊田が発表した文書やインタビュー記事をまとめる。
出典:AMAZON
偉大な発明家であった豊田佐吉を父に持ち、技術者、そして経営者として日本の自動車産業発展の礎を築いた男、豊田喜一郎。本書はその生涯を、当時を知る関係者や資料をもとに、和田一夫・由井常彦両教授が書き起こしたものである。
なにぶん戦前、しかも1900年代初期のことであり、事実関係を確認するのは大変な作業であったと推察されるが、両教授の調査は非常に緻密で、書き方にも誠実さが感じられる。脚色などはいっさいなく、ドラマ性には欠けるが、その分当時の雰囲気や喜一郎の置かれた状況が明確に浮かび上がってくる。
内容は、父豊田佐吉の半生に始まり、喜一郎の生い立ち、イギリスでの工場実習、紡織事業、トヨタ自動車工業設立までの一連の流れが、ほぼ時系列で書かれている。発明家として苦労し、息子には同じ思いをさせたくないと思っていた父の目を盗み、研究に没頭したエピソードや有名な「豊田・プラット協定」の話、高品質な自動車が作れず悩んでいたところに生じた戦争と社内の労働争議など、決して楽な道のりとはいえない喜一郎の人生が描かれている。また、入社後わずか1 年ほどの新人にエンジンの開発や高級鋳鉄の製造を任せたり、社員のモラルを向上させるために自らが得た特許料25万円(現在価値で約2億5000万円ともいわれる)を特別慰労金として与えたりといった、突出したリーダーとしての一面も紹介されている。
世界恐慌や2度にわたる世界大戦など、激動の時代を生きた偉大なる経営者、豊田喜一郎。その生涯を知ることは、ビジネスパーソンのみならず、変化の時代を生きる者にとって、必ずや何らかの意義を与えてくれるだろう。(土井英司)
内容(「MARC」データベースより)
繁栄の中に潜む危機を鋭敏に察知しながら、時代の制約の中で苦闘して、わが国での自動車事業の創出に精魂を傾けた豊田喜一郎の生涯を、資料に依拠して記述する。2001年トヨタ自動車刊の普及版。
過去記事:トヨタ部品値下げ要請
過去記事:『俺は、中小企業のおやじ』鈴木修を読む
豊田喜一郎文書集成
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
戦中という困難な時期に、自動車製造というリスクの大きな新規事業に取り組み、状況に翻弄されながらも事業の礎を築いた「夢を語る現実的な起業家」の軌跡。
内容(「MARC」データベースより)
トヨタ自動車社長として日本の自動車事業を創出した起業家・豊田喜一郎。国産自動車の大量生産、戦後の経済と産業の再出発、技術者のあり方などについて、豊田が発表した文書やインタビュー記事をまとめる。
和田 一夫 由井 常彦 トヨタ自動車歴史文化部
名古屋大学出版会
売り上げランキング: 386007
名古屋大学出版会
売り上げランキング: 386007
出典:AMAZON
偉大な発明家であった豊田佐吉を父に持ち、技術者、そして経営者として日本の自動車産業発展の礎を築いた男、豊田喜一郎。本書はその生涯を、当時を知る関係者や資料をもとに、和田一夫・由井常彦両教授が書き起こしたものである。
なにぶん戦前、しかも1900年代初期のことであり、事実関係を確認するのは大変な作業であったと推察されるが、両教授の調査は非常に緻密で、書き方にも誠実さが感じられる。脚色などはいっさいなく、ドラマ性には欠けるが、その分当時の雰囲気や喜一郎の置かれた状況が明確に浮かび上がってくる。
内容は、父豊田佐吉の半生に始まり、喜一郎の生い立ち、イギリスでの工場実習、紡織事業、トヨタ自動車工業設立までの一連の流れが、ほぼ時系列で書かれている。発明家として苦労し、息子には同じ思いをさせたくないと思っていた父の目を盗み、研究に没頭したエピソードや有名な「豊田・プラット協定」の話、高品質な自動車が作れず悩んでいたところに生じた戦争と社内の労働争議など、決して楽な道のりとはいえない喜一郎の人生が描かれている。また、入社後わずか1 年ほどの新人にエンジンの開発や高級鋳鉄の製造を任せたり、社員のモラルを向上させるために自らが得た特許料25万円(現在価値で約2億5000万円ともいわれる)を特別慰労金として与えたりといった、突出したリーダーとしての一面も紹介されている。
世界恐慌や2度にわたる世界大戦など、激動の時代を生きた偉大なる経営者、豊田喜一郎。その生涯を知ることは、ビジネスパーソンのみならず、変化の時代を生きる者にとって、必ずや何らかの意義を与えてくれるだろう。(土井英司)
内容(「MARC」データベースより)
繁栄の中に潜む危機を鋭敏に察知しながら、時代の制約の中で苦闘して、わが国での自動車事業の創出に精魂を傾けた豊田喜一郎の生涯を、資料に依拠して記述する。2001年トヨタ自動車刊の普及版。

日本の自動車業界の活躍を海外に行く度誇りに思います。その中で現在世界の成長のアジアで感じることが、トヨタよりもホンダ・スズキです。
スズキのインド市場ののシェア率は言うまでもありませんが、昔インドに行った時に、不安もありながらデリー空港に到着しました。今は分かりませんが、空港からでるとSUZUKIの看板(広告)が僕を出迎えてくれました。当時は、スズキの車がインドでシェアをもってることも知らず町にでてスズキの車だらけでびっくりしたことを記憶しております。
今後東南アジアで感じることは、ホンダ・スズキのバイクに長年乗った方達の所得があがり、四輪車を購入し始めます。
バイクも車も一番重要なのは、信頼と愛着だと思います。
トヨタよりもホンダ・スズキのシェアの一層の拡大が自動車市場で強いと思っております。
オール・ジャパンとしては、トヨタにもがんばって欲しいところです。なお『豊田喜一郎文書集成』という本も同じ所からでています。
偏っておりますが、イギリス公共放送BBCの自動車番組「トップギア」の「アジアン・カー(韓国・マレー シア)」特集の字幕版です。
KOREAN CAR 字幕版 前半
http://www.youtube.com/watch?v=W-tjhPqgw8c
KOREAN CAR 字幕版 後半
http://www.youtube.com/watch?v=Mt8zQznvcvM
モータースポーツの本場イギリスだけあって厳しいコメント評価です。
いやはや、ここまでやっていいんでしょうか。びっくりです。
トヨタのリコール問題は、2006年頃から叫ばれてたんですね。早めの対応を心がけるべきだったんでしょうね。
以下参照 2,006年にUPされた動画です。
http://www.youtube.com/watch?v=HFcJo1WNDkw
前社長が規模拡大を優先しすぎた、という事でしょうか。残念です。