68年前の開戦の決定は、石油禁輸が直接の原因だが、米国の立場にたてば、当時のならず者国家群の一国がアジアの、ゴム資源の宝庫である南部仏印に進駐したのだから、たとえ撤兵の提案があっても無視し挑発を主目的とした挑戦状を突きつけるのもやむをえないというわけだ。日本としても米国が両洋作戦を完遂する決意があるとは考えず米国が「合理的」な判断をして妥協する可能性があると判断した。ところが石油禁輸の後、石油はたっぷりある極東ロシアにタンカー船隊を派遣するなどの悪辣な挑発を米国がしても我慢せざろう得なかった。
ルーズベルトの日本嫌いは常識を超えたものだったことを日本は重視しなかった。この限りない憎悪と蔑視の原因は何なのか。大統領にも近かったジャーナリス
トのガンサーは、大統領の祖父がアジア貿易の会社を経営していて、当時開港した横浜の日本人商人からしこたま騙された経験があり、その体験と嫌悪感を年端
のいかぬ、まったく批判力のない幼児の孫に吹き込んだと記述している。石油禁輸からの米国の態度は文明国のそれとは言えないが、そんな事由が300万人の
横死に直結していたとしたら何と表現していいのか。ただ、こういう仕打ちがまったく正当化できない、といいきれない事も事実であろう。
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