1941年9月、アメリカは悪辣きわまる対日挑発行動を実施した。F・モアーの「日米外交秘史」を要約(257ページ)すると石油禁輸で困り抜く日本のそばのウラジオストックにタンカー3隻を仕立てて千島列島を通過し油を送り届けた。極東ソ連はサハリン原油でたっぷりであったのだが。なにかイソップ物語の狐が壷の食事を与えられたような気持ちというか、貧血で死にそうな人に輸血パックをみせびらかす類いの話だ。
では、なぜこのような行動にでたのか。これはアメリカ政府だけの仕業か。これからは推論である。当時島津製作所の島津源蔵は自動車バッテリーの特許裁判で8000万ドルの訴訟に勝っており2審も有利な展開だった。被告としては絶対絶命の状態だった。しかし、スチムソンに強いコネのあったその米国の大財閥は強力なロビー活動を続けた。スチムソンを今の人に比較するとブッシュ政権のラムズフェルトをもうすこし大物にした感じだ。で、そんな行動のアイデアを提供
し実行を慫慂した。これはあくまで推測であり、多くの傍証を提示してもなかなか信じられないだろう。戦後スチムソンは議会のパールハーバー審理委員会の証人を健康上の理由で、(ハルは高齢の故に)免除された。とても共和党の鋭い質問に対応できない、というのが本当の理由だ。そんなわけでピンピンしていた世を憚る老人の余生を支えたのが某財閥ではなかったのか。
参考文献:矢嶋 英敏 著「異邦人、改革に起つ」 日本経済新聞社刊
参考文献:矢嶋 英敏 著「異邦人、改革に起つ」 日本経済新聞社刊

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