米英両国が日本に石油の輸出を禁止したのは理由がある。南部仏印進駐が直接の原因である。ほとんどすべての軍需物資に恵まれた米国の例外はゴムであった。
その大半はフランス領インドシナからきていたから彼らの怒りには根拠がある。戦後首相になる幣原喜重郎は、当時すべての公職をはなれ、一民間人として講演会などの聴取などの毎日だったが、進駐の感想を聴かれ、えらい事になる、と一言いったという。リベリアというと国際政治で話題になることは少ないが、彼らのほこりは、進駐後、払底した米国のゴム市場に少量とはいえ、ゴムを供給したことだという。支配層が米国から移民した開放奴隷の子孫の時の話である。米国の戦争指導者としては、当時開発された人造ゴムの大量生産に期待しつつ、早期に日本を打倒する方策をとるのがベストとおもわれたのだろう。人類史でもっとも重要な法律といえば米国の兵器貸与法だろうが、その成立にもルーズベルト政権は四苦八苦の末のことだった。第一次世界大戦の苦い経験で米国の孤立主義者は勢力が強く、対独戦を大西洋でなし崩し的に始めていた(uボート攻撃)ル政権はあせりにあせっていた。いうまでもなく議会の承認のない「私戦」は死刑などの重罪にあたる。それがル政権のえげつない対日挑発の原因でもある。さらに根底にあってだれも語らないのが有色人種に対する見下しである。それは対日年次要望書を書き、郵政民営化の露骨な内政干渉をする近時の米国人と通底するものである。
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