文化勲章とノーベル賞

いよいよノーベル賞の受賞式である。最近の経済動向もあってか賞金の減額も考えられているとのことだ。私がいつも感じていることは、ノーベル賞受賞の日本人に文化勲章が自動的に贈られることの不可思議さだ。一国の文化の最高の勲章になぜ他の人達の判断を丸飲みするのか。これは尋常ではない。
私の記憶をたどれば、池田内閣の荒木文相の時から始まったとおもうのだが。作家O氏の社会的、政治的行動で、文化勲章辞退だけは理解可能である。彼の理由は嫌日のオブセッション(妄想)だったかもしれないが。高齢の受賞者で海外に在住の方は、両方の出席が体力的に無理で、東京欠席をかんがみてストックホルムも遠慮されることもありうる。南部名誉教授御夫妻がこれにあたられるかはわからない。彼の属するシカゴ大関係者のノーベル賞受賞者は50人を超すという。あらためて彼我の格差を痛感してしまう。最初に戻るが、いわば善意の判断でこの慣例が出来た。我々の行動様式は善意なら許されるという色彩が多い。善意の行動こそ十全の配慮が必要である。戦前の日本の対外活動からもそう思う。


          

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このページは、Makoto Hiroseが2008年12月 8日 11:40に書いたブログ記事です。

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